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岩手中2自殺  終わらない負の連鎖 [教育]

またしてもこの種の事件、なぜ、後を絶たないのだろうか?これは当事者であれば当然、責任の所在はどこにあったかを
追求して明らかにしなくてはならないだろう。散々、マスコミで言われてるこの自殺した子の担任教師の「上から目線」発言…
ノートという記録に残ってる以上、この発言があったことは事実であり、年端もいかない児童の言葉じりだけをとらえて
肝心のSOSをまるで無視してるのは明らかに現場放棄、職務怠慢であることは間違いない!

しかし、この事件は学校というコミュニィティーで起きてるわけで、遺族の方々には気の毒だが、責任の所在はこの自殺した子
の周りにいるすべての者=教師、生徒、保護者それぞれにいくらかずつは存在するのだ。

しかし、毎度のことながら学校は全体として責任を認めようとはしない。そして、元々の原因であるいじめを直接おこなった
児童の保護者に至っては「まさか、うちの子ではないでしょう」と思ったまま、亡くなった子と遺族に対して、さして
骨身に感じていない同情めいた感情を投げかけるだけで終わる。(最も、遺族が徹底的に糾弾する構えを見せれば、うちの子に
火の粉がかからないだろうか?という心配に変わるから余計、醜いものが見え隠れするだろう)

問題なのは、この醜い責任のなすりあいの後なのである。決まって学校責任者が「再発防止に努める」類の発言を行なうが
一体、どのようにして努めるのだろうか?こういう事件が起こると皆、口を揃えて言うのだが、一向になくなる兆しがない。
なぜなのか?いじめをなくす?…いや、違う!いじめというものは、大人になってからもどんなコミュニィティー単位になっても
なくなることはない。大人の場合はいじめに対していくつかの対抗手段がとれる。(しかし、それらから漏れてしまうと子供と
同様に自殺、もしくは他殺等の選択肢を選んでしまう場合もありうる)だが、子供の場合は経験値もなければ対抗策など思いつけ
というほうが無理な話である。

じゃ、どうすればいい?ということになるのだが、そんなに難しいことではないと思う。教えてやればいいのだ。
人の痛みというものを…

私が中学生だった頃にも当然、いじめは存在した。しかし、それ以上に親、教師から悪いことをすると容赦なく鉄拳制裁を
食らった。そこには、いじめっ子もいじめられっ子もなかった。極端に単純な教育だったかもしれない。
だが、そこで殴られればこれだけ痛いということが体に染みついた。現代社会の教育にはこれがまったくない。
我々の時代はこの人の痛みを体ごと教えられた。だから、いじめがあったにしても自然とブレーキをかけることができた。
そして、いじめてたとしても、個人の存在自体を全否定するようなことはなかった。まだ、社会全体が…人と人との繋がりが
今ほど、希薄ではなかったという時代背景もあったからであろう。

ただ、今の教育に、私自身が受けてきたものをいきなり、プレイバックというわけには当然、いかない。
教育上
やむを得ない体罰といっても、保護者と学校の信頼関係は皆無に等しく、また、叩き方をろくに知らない検討違いな
熱血教師に託すのは危険だし、今ほど、教師…いや大人全般が子供達に威厳というものを保てなくなってる時代では
生活指導もただのお説教にしか聞こえないだろうし…

種々の社会全体の負の連鎖が子供たちの教育に影を落としてる。当たり前の事を教えられないジレンマが加速していったとしても
子供達からのSOSは必ずある。それを減らしていくのは覚悟のいる原点回帰を今からでも現代に合ったやり方で始め
積み重ねていくしかないだろう。


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